織田信長の兵は雇われ兵で弱かったがいつでも動員出来て、長く常駐できた。

 太平洋戦争に敗れた後、日本史という学問は大きく変わりました。ざっくり言えば、もっとも優勢だった皇国史観が否定され、忌み嫌われていた唯物史観が市民権を得た、ということになります。
それにつれて研究対象の選択にも、戦前との差異が生じた。たとえば時代の推移に多大な影響を与えた「戦い」の考察は、政治史や経済史に比べると明らかに低調になった。
つらく切ない敗戦の記憶、日本の戦争放棄、敗戦直後から長く「軍部=悪」のレッテルが貼られたことなどが関係しているのでしょう。軍事史は一種のタブーになった時期があるのです。

 日本の国をリードしてきた将軍権力を構成する要素とは、大づかみには「軍事と政治」です。でも大学の歴史教育において、各時代の政治のありようを教えてくれる講義はあまたあっても、
軍事を科学的に検討するような授業は見たことがない。社会への発信力もほとんどない。だからへんてこりんな理解がまかり通ることもある。

 先日、ある歴史番組で脚本をチェックしてくれ、と頼まれました。長篠の戦い(1575年)をテーマにしていて、織田信長軍の鉄砲による攻撃がたいへんに効果的だったとある。
そこまではいいのです。けれども、続けて、武田勝頼軍1万5千のうち1万人が戦死した、と説明する。番組制作のえらいさんが大の武田びいきで、甲州兵は最後まで勇敢に戦った、
ということにしたかったらしい。

http://www.sankei.com/life/news/170413/lif1704130009-n1.html